投稿日:2025年10月5日
ダウントンアビーにマギースミスあり(前作で亡くなってしまったけど、もう次作が出ているらしい、どーすんのマギー様いないのに)、国宝に田中泯あり。
田中泯様が美味しいところかっさらっていく度に私の心は弾む(『きゃ~~泯さまぁ♡』)、その点でも最高に楽しめた映画。この方はイケオジなどという稚拙な言葉では表現できない、存在そのものがヴォーグ、歩くサグラダファミリア(ああああぁ~自分の語彙力に絶望、黙れ私)、泯様が口を閉じるとその沈黙は海よりも深い(だから黙れ)。
と、私のような観方をした人は多くはないかも知れないが、どこに注目するかによって様々な色のある映画で、観た人たちの間であれはどういう意味?あの人はどうして?と、つい語りたくなる映画。私の周囲(総計2名、ごめん友達少なくて)でも、観た後は散々あそこ、どう思った?とか、あれはどんな意味があると思う?とか楽しく語ることができて、もう一度観たくなる。
例えばハルエ(高畑充希)が何故俊介(横浜流星)に行ってしまったかだけで、私の周囲(総計2名、私含め3名)でそれぞれ違う説が出た。
説その1:喜久雄(吉沢亮)には芸が全てだと見切った
説その2:苦しい人を助けずにはいられない、人を助け支えることに自分の価値を置くタイプ
説その3:喜久雄が好きすぎるが喜久雄は芸に夢中なので、俊介と一緒になる事で喜久雄の近くのポジションを得ようとした
こういった会話が弾む余地をふわっとした表現で作り出す手法が凄く新しいかも知れない。その意味で、エポックメイキングな映画かも知れない。
| 公開 | 2025年 |
| 原作 | 吉田修一「国宝」 |
| 監督 | 李 相日 |
| 脚本 | 奥寺佐渡子 |